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A.一休み
オレのベンチというわけではないけれど、西波止場近くのこの一角でいつも休みます。
Simon & Garfunkelの"Bookends"の詩に、「70才になるなんて、何だかとてもわから
ない気持」という1行。自分たちはまだ若いつもりでいても、このベンチに夫婦で座って
いれば はた目には老人二人に見えるのだろうとこの頃思わないではありません。72と71
ですから。
B.SALTIM BOKKA
クレープを出すカフェ。函館は色に寛容な街で、こういう色の店があるかと思うとピンク
のペンキを塗った幼稚園があったりします。雨上がりにこのスケッチをしていると、
ちょうど頭の上を通る電線からしずくが一つ、画用紙に乗せたばかりの濃いめの赤の上に
ポタリと落ちました。水が赤に浸みて広がるさまに味わい。倣ってみるに、「オレより上
手い」。雨に手伝ってもらったスケッチです。
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C.函館駅
昔見た函館駅は三角屋根がいくつか目立つ建物でしたが、今のこの姿は船なのだそうです。
言われてみればなるほどと思う。とはいえ、真ん中の円柱が煙突なんだと言ってもちょっと
ばかり無理がありはしないか。ナルホドとムリを唱えて十何年か見るうちにやっぱり船だ函館
駅だと納得に傾いていきました。ほんとは左側数百メートルの位置に係留されている青函連絡
船の摩周丸に似てほしかったのだけど、あまり真似ては稚拙ですね。雪が吹き込む長い通路を
たどって駅から桟橋を目指した頃を思い出します。
D.函館明治館
手前は赤レンガ倉庫街で向こうは駅に続く道。レンガの赤よりワインの赤を思わせる明治館
の外壁は路地の空気もワインの色にしてしまう。中は硝子製品の店で、函館へ来るたびにワイ
ングラスの類を二つ三つと買い足しました。今では我が家のリビングルームが明治館の支店の
ようです。この数のグラスをとっかえひっかえしてワインを飲めば、そのうち身体が無事では
済みません。グラスはほとんどが花瓶の代わりです。
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E.ハリストス正教会
観光函館のイメージといえばまずこれで、普通は言っても描いても二番煎じの壁が厚い。
それでも、新雪にイーゼルを立ててこれを描いた50数年前の記憶は免れ難いものです。
サムホールの油彩初作品。その後2年ほどして社会人になったため、意に反して画業は長い
ブランクに入りました。退職後また絵を描けることになり、まず向かった先がハリストス正
教会です。教会の敷地は記憶よりずいぶん狭かったけど、教会をどう描くか、いわばどう描き
勝つかの課題は重いものでした。今は建物が修理中のため描かずに済んでほっとしています。
F.旧函館ホテル
建物と街路灯の間は市電の通る大通り。石造のどっしりした文化財建築がところどころに
建っています。旧函館ホテルは二階建てで見たところ間口も奥行も3間、このサイコロ状四角
四面の中にどれほどの人数が泊まれるものかとある種心配になる一方で 立ち姿はいかにも
重い。人より重さを泊めているかのように。旧時代の面目を現すこのホテルに一度泊まり
たかったのだけど、今はそういう建物ではないらしい。近くの老舗ラーメン店といいセット
なのに。
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G.ブラスリ・カリヨン
娘が東京の大学に進学を決めたのでお祝いをするという定宿の社長夫婦。誘われて食事に
行ったイタリアンのレストラン。医学系に行けという父親に対して理系がいいという娘。
母親の相談に乗ること何度か。「娘には娘の意地。きっとかなわんよ」。果たして、娘は
理工学部に。あのおやじきっとむくれているだろう。と思うと、実は決まったその日、
友だちを引き連れて夜中まで祝い酒を振舞い歩いたのだそうです。このような次第の末に
連れて行ってもらった店がいくつかあります。
H.朝市に続く道
その定宿のすぐ近く。昭和遺産のこの路地を描いて一期展に出したと言うと社長夫婦は
複雑な顔をしました。あの東日本大震災での北海道の犠牲者は1人、それがこの路地の住人
だったというのです。気の毒だけど、位牌を取りに行って水に呑まれたその人一人があった
ために北海道の死者はゼロと言えないことになった。死者を出した観光地からは客足がしば
らく遠のいた、と当時の状況を聞くことしばらく。知らなかったことをいろいろ聞いてこの
ホテルとのつき合いが始まったようなものです。
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I. ブティック
下がブティックで上がレストラン。一階と二階で意匠が異なるのが函館レトロ建築の
特徴とか。四角四面の安定の中で両者がまとまっており、硬派感覚と愛嬌が相半ば。
今時の街ではじゃま扱いされがちな電柱がここでは役割を得ているように思えます。
J. ホテル・キクヤ
初めての利用が約20年前、定宿・常客の付き合いはこの10年ほど。馬力があって配慮
こまやかな経営者夫妻の人柄が魅力。絵を描きに来たとこちらが言えば、飲みに来たん
だろ、と向こう。お互い遠慮が過ぎないほどほどの間柄で一杯がはずむようにになり、
故郷北海道とつながっていたいこちらとしては実にありがたい函館の「我が家」。
ここあってこそ実りのある北海道スケッチ旅なのです。
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(2022年11月記) |